大使インタビュー
令和3年4月7日
菊田大使メディアインタビュー(RSS)
4月3日付ライジング・ネパール紙電子版「日・ネパール関係の更なる向上のために努力する:菊田大使へのインタビュー」
4月2日、菊田大使はRSS通信社によるインタビューを受けました。同インタビューは4月3ー4日に、英語とネパール語の主要紙及び同電子版、オンライン・ニュースに掲載されました。
4月3日付ライジング・ネパール紙電子版(英語)の日本語訳は以下のとおりです(英語版はこちらをご覧ください)。
「日・ネパール関係の更なる向上のために努力する:菊田大使へのインタビュー」
まず第一に、エベレストを擁し、「母と祖国は天国より素晴らしい」をモットーとするこの魅力的な国ネパールに日本の大使として任命されとても嬉しく思っています。政府や民間の人々と共に取り組み、「繁栄するネパール、幸せなネパール」(サンブリッダネパール、スキネパール)を目にすることを楽しみにしています。
ネパールと日本は、後で述べますように、長きに渡り友情を享受してきました。私自身も忘れられない思い出があります。このような友情を踏まえ、二国間関係をさらに強化する努力を惜しみません。私の作戦は、ネパールの高位の指導者から一般の人々までできるだけ多くの人々に会って話を聞き、できるだけ多くの場所を訪れることです。現存する友好的な関係を強化するためのさまざまなツールを日本は持っていると思います。人々の声を聞き、この国のさまざまな魅力や課題を目にし、日本がネパールとどのように協力できるか最大限の組み合わせを考えたいと思います。
日本とネパールの間には長く深い歴史があります。1899年に日本の僧侶である河口慧海がカトマンズを訪れたことが始まりでした。1956年には公式の外交関係を樹立し、それ以来、真の友人同士として関係を強化してきました。
両国間のハイレベルな交流は非常に活発です。最近では、バンダリ大統領が訪日し、また両国の外相が相互に訪問しました。
来年の2022年は、最初の8人のネパール人留学生が日本に派遣されてから120周年を迎えます。
個人的な話を申し上げれば、私の故郷は日本の福島です。ですから、2011年に東日本大震災が発生した際のネパールの人々の祈りと支援にはとても感謝しています。ご想像のとおり、3月の日本の東北の山がちの地域はまだとても寒いのです。その場にいた私の両親、親戚、友人を含む多くの人々は、食べ物も電気も暖房も燃料もない事態に直面しました。その時、ネパールの人々が親切にもこの地域に送って下さった5,000枚の毛布は文字通り数千人の命を救いました。作りたてのダルバートと温かいネパールのコーヒーも、彼らの心と体が生き残ることを後押ししてくれました。
だからこそ、私自身もニューデリーで揺れを感じた2015年のネパール地震の直後、日本はネパールに緊急援助隊や救援物資を送り、その後も学校や住宅の再建を支援し、災害に強い国へ向けてネパールを支援してきました。
反対に、2016年4月の熊本地震の後、在日ネパール人の方々は自発的に熊本を訪れ、被災した日本人のためにダルバートを調理してくれました。彼らは、2015年のネパール地震の際とその後も続く日本政府の支援に感謝の意を表したいと語ったのです。
このように、ネパールと日本の強い友情は、両国の相互扶助と尊敬、そして困難な時においても存在する国民の心からの共感に基づいています。
バンダリ大統領は最近バングラデシュを訪問した際、貿易を拡大し、収支の均衡を保つためには、貿易上の障害を取り除き、インフラを整備し、市場へのアクセスを容易にすることが重要であると述べました。私は大統領に完全に同意します。同じことが外国直接投資の誘致にも言えると思います。ハードルを上げるのではなく、ネパールの起業家やビジネスマンが、その助けとなる政府の政策の下で日本の投資家を引き付けるためにどれだけ魅力を発揮できるかが重要です。
そのための機会の1つは、ネパールも参加を決定した2025年大阪・関西万博でしょう。この特別な機会は、ネパールがその繁栄と幸福を世界に提示するためのショーケースとなるでしょう。
日本は、ネパールの長年の友人として、農業、医療、教育、インフラ、良好な統治、平和構築、そして災害に強い国にすべく地震からの復興を支援してきました。資金協力だけでなく、社会的および経済的発展を担う人材育成のための技術支援も数多く行っています。日本は、国づくりは人づくりから始まると考えているからです。
はい、これまでにいくつかの重要な貢献をしてきましたし、今後の計画もあります。
昨年から日本はCOVAXファシリティの構築に貢献しており、総額2億米ドルの資金拠出を表明しました。私は2021年3月7日の朝、COVAXワクチンをネパールに運ぶ飛行機の乗客の一人として、以前の赴任地ナイジェリアからトリブバン国際空港に着陸しました。その場で、(私ではなく)ワクチンを歓迎するために集まっていたトリパティ保健人口大臣、ドナー国大使、国際機関のメンバーと話をすることができました。偶然の出来事でしたが、私にとってはネパールでの初めての体験がそれになりました。
ワクチンは大事ですが、コールドチェーンも死活的に重要です。 2021年3月9日、日本政府は、ネパールを含む南西アジアおよび東南アジア・太平洋諸島の25か国に約41億ドルの緊急助成金を提供することを決定しました。この助成金は、「最後の1マイル支援」として、国連児童基金(ユニセフ)を通じて各国のワクチン接種が最後の人にまで確実に届くようにするために、冷蔵施設など医療機器を含むコールドチェーン機材及び輸送を支援します。
これらの直接的な救済策に加えて、日本はCOVID-19によって引き起こされた諸課題についてもネパールを支援してきました。たとえば、ネパールの食糧安全保障を支援し、ネパールの脆弱な州で母子の健康と栄養プログラムを実施するために世界食糧計画(WFP)に347万米ドルが提供されました。
今後も、日本はこの新型コロナとの闘いにおいて、国際社会と協力していきます。 G7およびクワッド(日本、米国、インド、オーストラリア)のメンバーとしての次のような約束をしています。
-G7リーダーである私たちは本日会合し、新型コロナウィルスを打ち負かし、より良い社会を構築するために協力していくことを決意しました。 ( 2月19日G7首脳会議声明)。
-グローバルなワクチンの開発と展開を加速します(G7)。
-6月に英国で開催されるG7サミット(G7)で、これらの優先事項に関する具体的な行動に合意することを決意します。
-私たちは力を合わせて、安全で手頃な価格の効果的なワクチン生産と公平なアクセスを拡大し、経済回復を加速し、世界の健康に利益をもたらします(3月12日クワッド)。
-私たちは、各国の医療、科学、資金調達、製造と配送、開発の能力を組み合わせ、ワクチン専門家ワーキンググループを設立して、安全で効果的なワクチン配布への画期的な取り組みを実施します(クワッド)。
協力の重要な分野の1つは、BBB「Build Back Better(前より良く再構築する)」の概念に基づいて、自然災害に対してより回復力のある社会を再構築することでしょう。たとえば、家や学校の構造をより強固にすることは、被害を受けたコミュニティが自分たちの生活を回復し、前進できるようにするために効果的です。前に述べたように、私たちはこの点について体験を共有しています。
さらに、日本は社会・経済インフラ、電力と水、医療制度、教育を通じてネパールの経済成長を支援してきました。たとえば、シンズリ・ハイウェイは、国内での物資の円滑な輸送を通じて、ネパールの人々の日常生活を向上させます。医療と教育へのより良いアクセスのために、私たちはネパール政府と地元のNGOと協力してきました。
水問題に関しては、3月28日日曜日にメラムチ川の水がついにカトマンズに到着したことは私の大きな喜びです。この偉業は、日本が資金を提供したスンダリハル浄水プラント(WTP)建設プロジェクト、及びADB他による関連プロジェクトの成果です。1日あたり8,500万リットル(MLD)の水を浄化するプラントへの日本の支援は54億9400万円(50億7800ルピーに相当)でした。メラムチ川からのきれいな水が、カトマンズ市民の日常生活を助け、生活水準を向上させることを願っています。
ネパールは民主主義の強化に努めていると理解しており、日本は良い統治実現のためにネパールと協力しています。また、2022年にLLDC(後発発展途上国)を卒業し、2030年には中所得国にアップグレードするというネパールの目標が政府の貧困削減プログラムを通じて達成されることを奨励したいと思います。
環境保全と気候変動は、国際社会として共に取り組むべき最も大きな問題です。地球温暖化問題は、ヒマラヤの氷河を有するネパールも例外ではありません。市街地の大気汚染も問題です。これは、カトマンズ渓谷の交通渋滞を減少させることで緩和できる可能性があり、日本はこの点でも共に取り組んできています。これら困難な問題を解決することは、将来の世代のより良い健康につながると言わなければなりません。
人と人との交流は、日本とネパールの双方にとって、お互いをより深く知り、長期的なパートナーシップを強化するための重要な要素の1つです。文部科学省による留学生奨学金制度があり、多くのネパール人学生が日本で学んでいます。また、ネパールの若い公務員が日本の大学院で学ぶためのJDS(人材育成奨学金プロジェクト)というJICAプログラムもあります。日本での経験と、第二の故郷としての日本への愛情に支えられた卒業生達によるネパール社会のさまざまな分野での貢献に常に感謝しています。これらの学生交流に加えて、2019年から新たな機会が開かれました。「特定技能労働者」として、高度な技能を持ったネパール人が日本に仕事に来ることを歓迎します。
観光は常に私たちの世界に新しい視点を与えてくれるものです。両国間の観光分野がさらに拡大するのを楽しみにしています。 Visit Nepal 2020キャンペーンが新型コロナの影響を受けたと聞いたのは残念でした。しかし、ネパール航空による日本とネパール間の直行便は旅行者にとって今後の鍵となるでしょう。
昨年は、植村直己氏と松浦輝夫氏が日本人として初めてエベレスト山頂を極めてから50周年でした。また、福島出身の田部井淳子氏が女性登山家として世界で初めて登頂に成功してから45周年でした。新型コロナ禍の状況が落ち着いたら、多くのネパール人が日本を観光で訪れ、日本文化と伝統料理「和食」を楽しむことを歓迎したいと思います。もちろん、多くの日本の登山家や旅行愛好家が早くネパールを訪問することを待ち望んでいます。
日本人は、自然の美しさ、仏教と文化、食べ物、そして人々に由来して、ネパールに特別な親近感を持っていると思います。私の故郷である福島県の花はシャクナゲで、それはネパールの国花でもあります。
何年も前になりますが、外務省南西アジア課長としてカトマンズを訪れたとき、ジャカランダの木に美しい薄紫色の花が咲いていたのを覚えています。その出張時には、長野県松本市がカトマンズの姉妹都市として建設した日本武道館を訪ねました。2002年、当武道館の開所式には、この国の山を愛した橋本龍太郎元首相が訪れました。橋本氏と私は、共に剣道6段です。私はその武道館でネパールの若い剣道選手達との稽古を楽しみました。
2005年には、当時のパラス皇太子とヒマーニ皇太子妃を 2005年愛・地球博にお迎えしました。その際、ヒマーニ皇太子妃から賜った木製の壁飾りは、それ以来家宝となっています。そして今回大使としてこの国に着任して、なんと日本大使館の私の部屋に全く同じモチーフの飾りがあるのを発見したのです!
4月2日、菊田大使はRSS通信社によるインタビューを受けました。同インタビューは4月3ー4日に、英語とネパール語の主要紙及び同電子版、オンライン・ニュースに掲載されました。
4月3日付ライジング・ネパール紙電子版(英語)の日本語訳は以下のとおりです(英語版はこちらをご覧ください)。
「日・ネパール関係の更なる向上のために努力する:菊田大使へのインタビュー」
1. ネパールと日本は、政府間および民間レベルの両方で、長い間温かく友好的な関係を築いています。大使は今後の任期中、ネパールと日本の関係をどのように一層強化していきますか?
まず第一に、エベレストを擁し、「母と祖国は天国より素晴らしい」をモットーとするこの魅力的な国ネパールに日本の大使として任命されとても嬉しく思っています。政府や民間の人々と共に取り組み、「繁栄するネパール、幸せなネパール」(サンブリッダネパール、スキネパール)を目にすることを楽しみにしています。
ネパールと日本は、後で述べますように、長きに渡り友情を享受してきました。私自身も忘れられない思い出があります。このような友情を踏まえ、二国間関係をさらに強化する努力を惜しみません。私の作戦は、ネパールの高位の指導者から一般の人々までできるだけ多くの人々に会って話を聞き、できるだけ多くの場所を訪れることです。現存する友好的な関係を強化するためのさまざまなツールを日本は持っていると思います。人々の声を聞き、この国のさまざまな魅力や課題を目にし、日本がネパールとどのように協力できるか最大限の組み合わせを考えたいと思います。
日本とネパールの間には長く深い歴史があります。1899年に日本の僧侶である河口慧海がカトマンズを訪れたことが始まりでした。1956年には公式の外交関係を樹立し、それ以来、真の友人同士として関係を強化してきました。
両国間のハイレベルな交流は非常に活発です。最近では、バンダリ大統領が訪日し、また両国の外相が相互に訪問しました。
来年の2022年は、最初の8人のネパール人留学生が日本に派遣されてから120周年を迎えます。
個人的な話を申し上げれば、私の故郷は日本の福島です。ですから、2011年に東日本大震災が発生した際のネパールの人々の祈りと支援にはとても感謝しています。ご想像のとおり、3月の日本の東北の山がちの地域はまだとても寒いのです。その場にいた私の両親、親戚、友人を含む多くの人々は、食べ物も電気も暖房も燃料もない事態に直面しました。その時、ネパールの人々が親切にもこの地域に送って下さった5,000枚の毛布は文字通り数千人の命を救いました。作りたてのダルバートと温かいネパールのコーヒーも、彼らの心と体が生き残ることを後押ししてくれました。
だからこそ、私自身もニューデリーで揺れを感じた2015年のネパール地震の直後、日本はネパールに緊急援助隊や救援物資を送り、その後も学校や住宅の再建を支援し、災害に強い国へ向けてネパールを支援してきました。
反対に、2016年4月の熊本地震の後、在日ネパール人の方々は自発的に熊本を訪れ、被災した日本人のためにダルバートを調理してくれました。彼らは、2015年のネパール地震の際とその後も続く日本政府の支援に感謝の意を表したいと語ったのです。
このように、ネパールと日本の強い友情は、両国の相互扶助と尊敬、そして困難な時においても存在する国民の心からの共感に基づいています。
2. 日本は、インフラ、社会経済、教育、健康などを含むネパールの開発努力を高めるためのネパールの最大のドナー国の1つです。グローバル化により変化した今の状況において、ネパールの起業家はどのように日本の投資、技術、技術的支援を引き付けることができるでしょうか?大使館はネパールの起業家がこの目標を達成するのをどのように助けることができますか?
バンダリ大統領は最近バングラデシュを訪問した際、貿易を拡大し、収支の均衡を保つためには、貿易上の障害を取り除き、インフラを整備し、市場へのアクセスを容易にすることが重要であると述べました。私は大統領に完全に同意します。同じことが外国直接投資の誘致にも言えると思います。ハードルを上げるのではなく、ネパールの起業家やビジネスマンが、その助けとなる政府の政策の下で日本の投資家を引き付けるためにどれだけ魅力を発揮できるかが重要です。
そのための機会の1つは、ネパールも参加を決定した2025年大阪・関西万博でしょう。この特別な機会は、ネパールがその繁栄と幸福を世界に提示するためのショーケースとなるでしょう。
日本は、ネパールの長年の友人として、農業、医療、教育、インフラ、良好な統治、平和構築、そして災害に強い国にすべく地震からの復興を支援してきました。資金協力だけでなく、社会的および経済的発展を担う人材育成のための技術支援も数多く行っています。日本は、国づくりは人づくりから始まると考えているからです。
3. 閣下、新型コロナ禍により、雇用、経済的機会、および健康、教育などの基本的なサービスへのアクセスが大幅に失われました。日本政府はネパールのような国を助けるためにどのように考えていますか?何か計画はありますか?
はい、これまでにいくつかの重要な貢献をしてきましたし、今後の計画もあります。
昨年から日本はCOVAXファシリティの構築に貢献しており、総額2億米ドルの資金拠出を表明しました。私は2021年3月7日の朝、COVAXワクチンをネパールに運ぶ飛行機の乗客の一人として、以前の赴任地ナイジェリアからトリブバン国際空港に着陸しました。その場で、(私ではなく)ワクチンを歓迎するために集まっていたトリパティ保健人口大臣、ドナー国大使、国際機関のメンバーと話をすることができました。偶然の出来事でしたが、私にとってはネパールでの初めての体験がそれになりました。
ワクチンは大事ですが、コールドチェーンも死活的に重要です。 2021年3月9日、日本政府は、ネパールを含む南西アジアおよび東南アジア・太平洋諸島の25か国に約41億ドルの緊急助成金を提供することを決定しました。この助成金は、「最後の1マイル支援」として、国連児童基金(ユニセフ)を通じて各国のワクチン接種が最後の人にまで確実に届くようにするために、冷蔵施設など医療機器を含むコールドチェーン機材及び輸送を支援します。
これらの直接的な救済策に加えて、日本はCOVID-19によって引き起こされた諸課題についてもネパールを支援してきました。たとえば、ネパールの食糧安全保障を支援し、ネパールの脆弱な州で母子の健康と栄養プログラムを実施するために世界食糧計画(WFP)に347万米ドルが提供されました。
今後も、日本はこの新型コロナとの闘いにおいて、国際社会と協力していきます。 G7およびクワッド(日本、米国、インド、オーストラリア)のメンバーとしての次のような約束をしています。
-G7リーダーである私たちは本日会合し、新型コロナウィルスを打ち負かし、より良い社会を構築するために協力していくことを決意しました。 ( 2月19日G7首脳会議声明)。
-グローバルなワクチンの開発と展開を加速します(G7)。
-6月に英国で開催されるG7サミット(G7)で、これらの優先事項に関する具体的な行動に合意することを決意します。
-私たちは力を合わせて、安全で手頃な価格の効果的なワクチン生産と公平なアクセスを拡大し、経済回復を加速し、世界の健康に利益をもたらします(3月12日クワッド)。
-私たちは、各国の医療、科学、資金調達、製造と配送、開発の能力を組み合わせ、ワクチン専門家ワーキンググループを設立して、安全で効果的なワクチン配布への画期的な取り組みを実施します(クワッド)。
4. 今後のネパールと日本の協力分野は何でしょうか。両国はどのように長期的なパートナーシップを築くことができるでしょうか?
協力の重要な分野の1つは、BBB「Build Back Better(前より良く再構築する)」の概念に基づいて、自然災害に対してより回復力のある社会を再構築することでしょう。たとえば、家や学校の構造をより強固にすることは、被害を受けたコミュニティが自分たちの生活を回復し、前進できるようにするために効果的です。前に述べたように、私たちはこの点について体験を共有しています。
さらに、日本は社会・経済インフラ、電力と水、医療制度、教育を通じてネパールの経済成長を支援してきました。たとえば、シンズリ・ハイウェイは、国内での物資の円滑な輸送を通じて、ネパールの人々の日常生活を向上させます。医療と教育へのより良いアクセスのために、私たちはネパール政府と地元のNGOと協力してきました。
水問題に関しては、3月28日日曜日にメラムチ川の水がついにカトマンズに到着したことは私の大きな喜びです。この偉業は、日本が資金を提供したスンダリハル浄水プラント(WTP)建設プロジェクト、及びADB他による関連プロジェクトの成果です。1日あたり8,500万リットル(MLD)の水を浄化するプラントへの日本の支援は54億9400万円(50億7800ルピーに相当)でした。メラムチ川からのきれいな水が、カトマンズ市民の日常生活を助け、生活水準を向上させることを願っています。
ネパールは民主主義の強化に努めていると理解しており、日本は良い統治実現のためにネパールと協力しています。また、2022年にLLDC(後発発展途上国)を卒業し、2030年には中所得国にアップグレードするというネパールの目標が政府の貧困削減プログラムを通じて達成されることを奨励したいと思います。
環境保全と気候変動は、国際社会として共に取り組むべき最も大きな問題です。地球温暖化問題は、ヒマラヤの氷河を有するネパールも例外ではありません。市街地の大気汚染も問題です。これは、カトマンズ渓谷の交通渋滞を減少させることで緩和できる可能性があり、日本はこの点でも共に取り組んできています。これら困難な問題を解決することは、将来の世代のより良い健康につながると言わなければなりません。
人と人との交流は、日本とネパールの双方にとって、お互いをより深く知り、長期的なパートナーシップを強化するための重要な要素の1つです。文部科学省による留学生奨学金制度があり、多くのネパール人学生が日本で学んでいます。また、ネパールの若い公務員が日本の大学院で学ぶためのJDS(人材育成奨学金プロジェクト)というJICAプログラムもあります。日本での経験と、第二の故郷としての日本への愛情に支えられた卒業生達によるネパール社会のさまざまな分野での貢献に常に感謝しています。これらの学生交流に加えて、2019年から新たな機会が開かれました。「特定技能労働者」として、高度な技能を持ったネパール人が日本に仕事に来ることを歓迎します。
観光は常に私たちの世界に新しい視点を与えてくれるものです。両国間の観光分野がさらに拡大するのを楽しみにしています。 Visit Nepal 2020キャンペーンが新型コロナの影響を受けたと聞いたのは残念でした。しかし、ネパール航空による日本とネパール間の直行便は旅行者にとって今後の鍵となるでしょう。
昨年は、植村直己氏と松浦輝夫氏が日本人として初めてエベレスト山頂を極めてから50周年でした。また、福島出身の田部井淳子氏が女性登山家として世界で初めて登頂に成功してから45周年でした。新型コロナ禍の状況が落ち着いたら、多くのネパール人が日本を観光で訪れ、日本文化と伝統料理「和食」を楽しむことを歓迎したいと思います。もちろん、多くの日本の登山家や旅行愛好家が早くネパールを訪問することを待ち望んでいます。
5. ネパールは日本で日本人にはどのように受け止められていますか?大使は以前にネパールにいらしたことはありますか?もしそうなら、最も記憶に残る瞬間は何でしたか?
日本人は、自然の美しさ、仏教と文化、食べ物、そして人々に由来して、ネパールに特別な親近感を持っていると思います。私の故郷である福島県の花はシャクナゲで、それはネパールの国花でもあります。
何年も前になりますが、外務省南西アジア課長としてカトマンズを訪れたとき、ジャカランダの木に美しい薄紫色の花が咲いていたのを覚えています。その出張時には、長野県松本市がカトマンズの姉妹都市として建設した日本武道館を訪ねました。2002年、当武道館の開所式には、この国の山を愛した橋本龍太郎元首相が訪れました。橋本氏と私は、共に剣道6段です。私はその武道館でネパールの若い剣道選手達との稽古を楽しみました。
2005年には、当時のパラス皇太子とヒマーニ皇太子妃を 2005年愛・地球博にお迎えしました。その際、ヒマーニ皇太子妃から賜った木製の壁飾りは、それ以来家宝となっています。そして今回大使としてこの国に着任して、なんと日本大使館の私の部屋に全く同じモチーフの飾りがあるのを発見したのです!