菊田大使寄稿:ナグドゥンガトンネル避難坑(Evacuation Tunnel)の貫通に寄せて

令和5年8月14日
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※これは、2023年8月8日付ザ・ライジング・ネパール紙とゴルカパトラ紙に掲載された菊田大使による寄稿文の日本語訳です

ザ・ライジング・ネパール紙(
英語
ゴルカパトラ紙(ネパール語)


 
ナグドゥンガトンネル避難坑(Evacuation Tunnel)の貫通に寄せて
 
 8月7日、ナグドゥンガに新たな風が吹いた。ネパールは日本政府の支援のもとで、ヒマラヤに道路トンネルの建設を行っている。これには日本企業が日々現場でネパール人とともに尽力しており、この難事業に日本が貢献し続けていることに、大使として非常に喜ばしく思う。本事業はネパールの交通利便性の向上ひいては地域の経済・社会発展に資するのみならず、将来の開発への投資の側面も持つ。
事業完了は少し先の話であるが、この機会に大使として本事業に対する見解を記しておきたい。
 
約5000万年前
 本事業を語る前に、事業地であるネパールの国土の成り立ちを振り返る必要がある。ヒマラヤ山脈はプレートテクトニクス理論によると、約7000万年前に始まったインド大陸とユーラシア大陸との衝突により約4~5000万年前に形成されたものである。ヒマラヤ山脈が昔は海底であったその証拠に、ウミユリの化石が発掘され、岩塩が採取される。ヒマラヤは地球上で最も新しい山脈の一つとされ、その中でも西部に位置するナンガ・パルパット山は現在地球上で最も速いスピードで高くなりつつある山である。そのような今もなお変化を続けるヒマラヤ山脈でのトンネルの掘削は、断層や破砕帯及び地下水等の地質学的課題に対して繊細な配慮・技術を必要とし、日々想像を絶する困難と隣り合わせである。今まさにこのような現場において、日本政府の対ネパール支援の下で日本企業はそれに挑む日々を送っている。
 
60年前
 日本企業が直面した困難な現場として、今から60年前の事例をここで御紹介する。日本において当時世紀の大工事と言われた黒部第4ダム(通称クロヨン)が、ちょうど60年前の1963年に完成した。この工事はその後小説や映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー番組として放映され、多くの日本人の記憶に留められている。
この困難な現場の中で、第一工区を担当した土木会社の後身となる日本企業が、今ネパール・ナグドゥンガで難工事に取り組み続けている。その企業は、ネパール人もBPハイウェイという名でよく知っているシンズリ道路の建設に従事した経験も持つ。その企業のモットーは「微粒結集」である。微粒結集とは、「一人ひとりは微力であっても、結集すれば大きなエネルギーを発揮できる」 という精神を表現した言葉であり、ナグドゥンガの現場においてもその企業モットーの下、日本人とネパール人が協力して事業に日々取り組んでいる。
 
現在
 ナグドゥンガトンネルは2.68kmの2車線におよぶネパール初となる山岳交通道路トンネルである。
本事業の工事は2019年から開始され、日々本坑の掘削及びトンネル内外の必要設備整備のための工事などが行われている。トンネルの完成にはもう少し時間を要するところではあるが、本年8月7日に西側・東側の両方から掘削していた避難坑(Evacuation Tunnel)がついに貫通した。貫通の瞬間、避難坑に新たな風が吹いた。私自身も現場に立ち会ったが、日本人関係者とネパール人関係者達が共に喜びを分かち合っていた光景は感動的であった。
 
未来
 そのような印象的な光景を目の当たりにして、日本のODA事業の特徴である「技術移転」の重要性を再認識した。JICAを通じた日本政府の技術協力(Technical Cooperation)でも、多くの研修や訪日プログラムがある。加えて、本事業のようなインフラプロジェクトにおいても、ネパール国内の現場での難工事に日本の先進技術が活用され、日本人とネパール人が一緒に取り組むことで、その経験からネパール側関係者の技術は確実に向上するだろう。つまり、本事業は、単にひとつのODAプロジェクトに留まらず、将来、ネパール国がネパール人技術者により、ネパール国内に道路トンネル拡大していく上で、有形無形の礎となるものなのである。
 
 本事業は、ヒマラヤを抱くネパールの開発において、様々な意味で画期的かつ歴史的なものである。ネパール初の交通トンネルが近い将来、滞りなく立派に完成し、多くのネパール人とともに喜びを分かち合う日を心から楽しみにしている。
 
2023年8月8日
ネパール国駐箚特命全権大使
菊田  豊