[掲載記事]菊田豊日本大使:カリスマ的外交官
令和6年9月26日
※以下は、大使による寄稿そのものではありませんが、2024年9月25日付のニュー・スポットライトに掲載された記事の日本語訳です。
大使は頻繁に交代するものだが、その中でも、受け入れ国に消えない足跡を残す外交官はいる。2021年3月、コロナ禍の最中にネパールで任期を開始した菊田豊日本国大使は、パンデミックがもたらす課題に対処するネパールを支援するために多大な貢献をした。また、両国の国民と政府間の友好関係を強化するために精力的に働いている。
菊田豊日本大使:カリスマ的外交官
大使は頻繁に交代するものだが、その中でも、受け入れ国に消えない足跡を残す外交官はいる。2021年3月、コロナ禍の最中にネパールで任期を開始した菊田豊日本国大使は、パンデミックがもたらす課題に対処するネパールを支援するために多大な貢献をした。また、両国の国民と政府間の友好関係を強化するために精力的に働いている。
菊田豊日本国大使は、その謙虚さ、優しさ、そしてさまざまな背景を持つ人々と関わろうとする熱心さで知られている。しかし、ネパールでの最初の1年半は、コロナ禍による制約を受けた。
日本外務省のベテラン外交官である菊田豊大使は、コロナ禍の困難な時期にネパールに着任した途端、ロックダウン措置やその他の健康規則により日常生活が停止し、開発計画が完全に停止している状況に直面した。
医療施設の設備が不十分なこの国は、深刻な健康危機に直面していていた。死亡者数と入院患者数が増加しているため、人工呼吸器、酸素マシン、その他の重要な救命機器を含む緊急医療用品の緊急需要があった。
ネパールとの友好的で信頼できる関係で知られる日本国。その大使として、彼は不可欠な緊急医療支援を率先して提供した。
ベテラン外交官である菊田大使は、国民の命を守るためにネパール政府と時を置かず協力した。菊田豊大使は、2021年4月16日に信任状を捧呈した後、ネパールの政府関係者や国民と積極的に関わり始めた。
就任当初の大使の仕事はきついものだった。人工呼吸器や濃縮酸素発生器などの緊急医療用品の配布に多くの時間を費やし、同時にネパールの深刻な健康状態について日本政府に情報を提供し続けた。
その一方、世界的危機の真っ只中に着任したにもかかわらず、菊田大使はネパールの豊かな文化、自然の美しさ、活気に満ちたライフスタイルを受け入れ、探求した。同大使は、ネパールの多様な文化遺産と景観に対する称賛を伝導した。
「日本とネパールはどちらも山国であり、歴史を通じて、厳しい自然環境と闘い、地震、洪水、気候変動などの共通の問題に直面してきました。」と菊田大使は述べる。さらに彼は、「ネパールは、戦後復興、民主化の進展、災害管理における日本の経験から学ぶ恩恵に与れる立場にあります。さらに、日本におけるネパール人コミュニティの増加は、日本の少子高齢化に対処する上で重要な資産であると同時に、ネパールの方々が日本滞在で得られた知識と経験がネパールの将来にもプラスの影響を与えることを心から願っています。」と述べた。
日本外務省のベテラン外交官である菊田豊大使は、コロナ禍の困難な時期にネパールに着任した途端、ロックダウン措置やその他の健康規則により日常生活が停止し、開発計画が完全に停止している状況に直面した。
医療施設の設備が不十分なこの国は、深刻な健康危機に直面していていた。死亡者数と入院患者数が増加しているため、人工呼吸器、酸素マシン、その他の重要な救命機器を含む緊急医療用品の緊急需要があった。
ネパールとの友好的で信頼できる関係で知られる日本国。その大使として、彼は不可欠な緊急医療支援を率先して提供した。
ベテラン外交官である菊田大使は、国民の命を守るためにネパール政府と時を置かず協力した。菊田豊大使は、2021年4月16日に信任状を捧呈した後、ネパールの政府関係者や国民と積極的に関わり始めた。
就任当初の大使の仕事はきついものだった。人工呼吸器や濃縮酸素発生器などの緊急医療用品の配布に多くの時間を費やし、同時にネパールの深刻な健康状態について日本政府に情報を提供し続けた。
その一方、世界的危機の真っ只中に着任したにもかかわらず、菊田大使はネパールの豊かな文化、自然の美しさ、活気に満ちたライフスタイルを受け入れ、探求した。同大使は、ネパールの多様な文化遺産と景観に対する称賛を伝導した。
「日本とネパールはどちらも山国であり、歴史を通じて、厳しい自然環境と闘い、地震、洪水、気候変動などの共通の問題に直面してきました。」と菊田大使は述べる。さらに彼は、「ネパールは、戦後復興、民主化の進展、災害管理における日本の経験から学ぶ恩恵に与れる立場にあります。さらに、日本におけるネパール人コミュニティの増加は、日本の少子高齢化に対処する上で重要な資産であると同時に、ネパールの方々が日本滞在で得られた知識と経験がネパールの将来にもプラスの影響を与えることを心から願っています。」と述べた。
ベテラン外交官
菊田大使の就任1年目は、コロナ禍とそれに伴う行動規制によって活動が制限されていた。しかし、状況が改善し、ネパールが再び扉を開き始めると、彼は開発計画に関連する種々のイベントに出席し、全国のさまざまな関係者と交流する機会を得ることとなった。
さらに、菊田大使の任期は、ネパールと日本の学生交流プログラムを反映する重要な時期と一致した。
「過去2年間、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、残念ながらほぼすべての行事を中止せざるを得なかったため、公邸でこれほど多くのゲストを迎えるのは今回が初めてです。」と、大使は2022年5月24日の留学生交流120周年記念式典で振り返った。2022年は、8人の若者を日本に留学させるというネパール政府の取り組みから120周年にあたる。彼らは、1902年6月17日、横浜に到着した。
過去3年半、温厚な物腰で知られる菊田豊大使は、ネパールが直面する数多くの課題に巧みに対処してきた。大使はネパールの国政選挙と地方選挙をモニターし、特に2022年の国政選挙に際しては、日本の武井俊輔外務副大臣とともに監視団を形成した。K.P.シャルマ・オリ、シェール・バハドゥル・デウバ、プシュパ・カマル・ダハル・プラチャンダという3人のリーダーによる6つの異なる政府とこれまで協力して来た。
制限緩和と国家再開の後、彼は外務大臣を含む日本からの要人訪問の受け入れに当たった。
2019年1月の河野外務大臣の訪問以来5年ぶりに、先般5月に日本の外務大臣がネパールを訪問した。上川陽子外務大臣は、ネパールへの初訪問を成功裏に終えた。この訪問は、日本とネパールの二国間関係を強化する上で重要な節目となった。
また、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより長期間延期されていたナグドゥンガトンネルの貫通は、大きな成果である。政府開発援助(ODA)で建設されたこのトンネルは、ネパールの交通インフラに革命を起こすであろう。
外交官として菊田大使は、話しは控えめにする代わりに他の人の見解に注意深く耳を傾ける。公のイベント、開発プロジェクト現場への訪問、施設の開所式、協定の調印のいずれの場合でも、彼はネパール本来の美しさ、変革への潜在力、そしてそれを実現するためのネパールの人々に対する日本の支援を強調する。菊田大使は、高等教育を受け日本から帰国したネパール人の学者に対して、彼らが習得した知識とスキルをネパール人のより大きな利益のために活用するよう奨励している。ネパール支援に関して、菊田大使は精力的に活動を続けてきており、教育、医療、統治強化を目的とした制度整備など、さまざまな分野で日本はネパール政府と積極的に協力してきた。
さらに、インフラ分野でも努力が続けられており、国際協力機構(JICA)が実施機関となっている。大使は、日本の経済協力の大きな利点は、政府レベルだけでなく、様々な関係機関を通じて支援を促進する多様なプログラムを有していることにあると指摘した。
菊田大使は、カトマンズ住民の生活水準向上を目指すメラムチ給水プロジェクトの実施に満足の意を示し、スンダリジャルにある重要な浄水場(WTP)に対する日本の支援を強調した。さらに、2025年大阪・関西万博は、「繁栄するネパール、幸せなネパール人」というテーマを推進することで、ネパールがさらなる外国投資を誘致する貴重な機会となると主張した。
菊田大使の就任1年目は、コロナ禍とそれに伴う行動規制によって活動が制限されていた。しかし、状況が改善し、ネパールが再び扉を開き始めると、彼は開発計画に関連する種々のイベントに出席し、全国のさまざまな関係者と交流する機会を得ることとなった。
さらに、菊田大使の任期は、ネパールと日本の学生交流プログラムを反映する重要な時期と一致した。
「過去2年間、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、残念ながらほぼすべての行事を中止せざるを得なかったため、公邸でこれほど多くのゲストを迎えるのは今回が初めてです。」と、大使は2022年5月24日の留学生交流120周年記念式典で振り返った。2022年は、8人の若者を日本に留学させるというネパール政府の取り組みから120周年にあたる。彼らは、1902年6月17日、横浜に到着した。
過去3年半、温厚な物腰で知られる菊田豊大使は、ネパールが直面する数多くの課題に巧みに対処してきた。大使はネパールの国政選挙と地方選挙をモニターし、特に2022年の国政選挙に際しては、日本の武井俊輔外務副大臣とともに監視団を形成した。K.P.シャルマ・オリ、シェール・バハドゥル・デウバ、プシュパ・カマル・ダハル・プラチャンダという3人のリーダーによる6つの異なる政府とこれまで協力して来た。
制限緩和と国家再開の後、彼は外務大臣を含む日本からの要人訪問の受け入れに当たった。
2019年1月の河野外務大臣の訪問以来5年ぶりに、先般5月に日本の外務大臣がネパールを訪問した。上川陽子外務大臣は、ネパールへの初訪問を成功裏に終えた。この訪問は、日本とネパールの二国間関係を強化する上で重要な節目となった。
また、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより長期間延期されていたナグドゥンガトンネルの貫通は、大きな成果である。政府開発援助(ODA)で建設されたこのトンネルは、ネパールの交通インフラに革命を起こすであろう。
外交官として菊田大使は、話しは控えめにする代わりに他の人の見解に注意深く耳を傾ける。公のイベント、開発プロジェクト現場への訪問、施設の開所式、協定の調印のいずれの場合でも、彼はネパール本来の美しさ、変革への潜在力、そしてそれを実現するためのネパールの人々に対する日本の支援を強調する。菊田大使は、高等教育を受け日本から帰国したネパール人の学者に対して、彼らが習得した知識とスキルをネパール人のより大きな利益のために活用するよう奨励している。ネパール支援に関して、菊田大使は精力的に活動を続けてきており、教育、医療、統治強化を目的とした制度整備など、さまざまな分野で日本はネパール政府と積極的に協力してきた。
さらに、インフラ分野でも努力が続けられており、国際協力機構(JICA)が実施機関となっている。大使は、日本の経済協力の大きな利点は、政府レベルだけでなく、様々な関係機関を通じて支援を促進する多様なプログラムを有していることにあると指摘した。
菊田大使は、カトマンズ住民の生活水準向上を目指すメラムチ給水プロジェクトの実施に満足の意を示し、スンダリジャルにある重要な浄水場(WTP)に対する日本の支援を強調した。さらに、2025年大阪・関西万博は、「繁栄するネパール、幸せなネパール人」というテーマを推進することで、ネパールがさらなる外国投資を誘致する貴重な機会となると主張した。
ナグドゥンガトンネルの貫通に当たり、大使は、日本とネパールの深いつながりを強調し、両国民の間に永続的な友情を育んできた強い絆を強調した。
「この文脈で、私はネパールの人々が日本の支援を有効に活用してくれることを願うばかりです。ネパールの方々からは、日本との長年の友情と、隠された動機なしに提供される支援に感謝する旨の言葉を頻繁にいただいています。しかし、私は一貫して、日本はネパールに関心があるのだと強調しています。日本の関心は、具体的には、ネパールの平和、安定、発展です。また、日本国民が苦労して稼いだ税金を原資とする日本の援助は、慈善事業ではなく、ネパールの明るい未来への投資とみなされるべきだと伝えています。」と菊田大使は述べた。
先月、大使公邸で開かれたJDSフェロー(日本政府奨学金によるネパール政府職員留学生)壮行会で、大使はこう述べた。
「皆さんの経験はネパールの発展に大きく貢献するでしょう。最近の若者の国外への大量流出は、中長期的には国にとって大きな問題となりかねません。」
「皆さんは政府関係者として、日本で得た経験、スキル、技術、経営の専門知識をネパールの将来のために活用しなければなりません。日本の支援は単なる慈善ではなく、ネパールの明るい未来への投資であることを強調します。皆さんは希望の象徴であり、国の発展に重要な役割を果たす準備ができています。これを実現するのは、皆さんの責任であり、皆さんにはその能力があるのです。」
ネパールでの文化交流を促進する取り組みの一環として、大使は最近、カトマンズの大使公邸にて、左手のリサイタルを披露した著名な日本人ピアニスト、舘野泉氏を迎えた。このイベントには、カトマンズに駐在する外交使節団表や名誉総領事、その他さまざまな分野から100人近い招待者が出席した。
「この文脈で、私はネパールの人々が日本の支援を有効に活用してくれることを願うばかりです。ネパールの方々からは、日本との長年の友情と、隠された動機なしに提供される支援に感謝する旨の言葉を頻繁にいただいています。しかし、私は一貫して、日本はネパールに関心があるのだと強調しています。日本の関心は、具体的には、ネパールの平和、安定、発展です。また、日本国民が苦労して稼いだ税金を原資とする日本の援助は、慈善事業ではなく、ネパールの明るい未来への投資とみなされるべきだと伝えています。」と菊田大使は述べた。
先月、大使公邸で開かれたJDSフェロー(日本政府奨学金によるネパール政府職員留学生)壮行会で、大使はこう述べた。
「皆さんの経験はネパールの発展に大きく貢献するでしょう。最近の若者の国外への大量流出は、中長期的には国にとって大きな問題となりかねません。」
「皆さんは政府関係者として、日本で得た経験、スキル、技術、経営の専門知識をネパールの将来のために活用しなければなりません。日本の支援は単なる慈善ではなく、ネパールの明るい未来への投資であることを強調します。皆さんは希望の象徴であり、国の発展に重要な役割を果たす準備ができています。これを実現するのは、皆さんの責任であり、皆さんにはその能力があるのです。」
ネパールでの文化交流を促進する取り組みの一環として、大使は最近、カトマンズの大使公邸にて、左手のリサイタルを披露した著名な日本人ピアニスト、舘野泉氏を迎えた。このイベントには、カトマンズに駐在する外交使節団表や名誉総領事、その他さまざまな分野から100人近い招待者が出席した。