菊田大使の離任挨拶(仮訳)

令和6年11月28日
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※これは、大使館フェースブックに掲載された動画の仮訳です。

1.離任の寂しさ
 ネパールの友人の皆さん、こんにちは。日本大使館のこの Facebook ページをご覧いただきありがとうございます。
 これは私の離任動画です。東京からの指示を受け、私はここでの任務を終え、来る 12 月 8 日にネパールを離れます。お別れを申し上げるのは辛いことではありますが、公務員として発令には従わなければなりません。この素敵な国での任期中に出会った皆さん一人一人に感謝を伝えるには、残された時間は余りに限られています。そこで、世界中の誰にでも、いつでも、どこでも感謝の気持ちを伝えられるように、この動画を投稿することにしました。
 フランス語の Au revoir、ドイツ語の Auf wiedersehen、英語の See you again、すべて再会を願う表現です。しかし、日本語では「さようなら」と言います。これは語源的には「あなたがそう言うなら」「状況がそうなら」という意味です。したがって、今の私の気持ちは「去りたくはない。しかし、状況がそうであるならば、自分は自らの運命を受け入れなければならない。」ということです。
 
2.感謝
 いずれにせよ、この機会に心からの感謝を述べさせてください。
 まず、ネパールに感謝したいと思います。私は、その驚くべき自然の美しさ、伝統文化、食べ物、音楽、ダンス、祭り、数多くの世界遺産、神々への敬意を保ったライフスタイルを存分に楽しみ、賞賛しました。ネパールには日本との共通点がたくさんあると感じました。人気の観光地のみならず、ネパールの地元団体や日本のNGOを通じて草の根無償援助を数多く行っている日本の大使として、遠く離れた村々を東に西に訪れ、現地の人々と直接コミュニケーションをとる機会がたくさんありました。それは私に特別な思い出を与えてくれました。
 次に、人々に感謝したいと思います。私はネパールの人々の笑顔とおもてなしの気持ちが好きです。ネパールの人々が多様性の中で共に平和に暮らす努力とその現実に、私は深い敬意を抱いています。
 同僚たちにも感謝したいと思います。当地の外交官仲間は皆、プロフェッショナルであるだけでなく、深い魅力を備えた素敵な人間たちです。偶然にも、ニューデリー時代の次席仲間や米国の大学の同窓生にまで会いました。年月を重ね違う立場にいる旧い友人にもたまたま再会しました。これらの出会いと再会は、私の人生の貴重な宝物として残るでしょう。また、大使館の同僚、秘書、運転手、各班の現地スタッフ、公邸スタッフ、料理人夫妻にも感謝します。彼らと一緒に働くのはとても快適でした。
 さらに、多目的武道センターで出会ったネパールの若き剣道家たちにも特に感謝したいと思います。私は、彼らが日本の剣の武道である剣道に心頭し、「武士道、サムライの道」が内包する精神と価値観を理解しようと努力する姿にとても感銘を受けました。彼らは、私の当地での日々に特別な光と喜びを与えてくれました。
 最後に、ネパールと日本の二国間関係に感謝したいと思います。120年以上にわたる人的交流の歴史の中で、私たちの間には多くの美しい物語が存在します。私はネパールの友人から、毎日のように、知らなかった感動的な逸話を教えられます。私たちの長年の友情に私はとても感謝しています。ご存知のように、世界中のどんな国であっても勤務することが公人としての大使の仕事ですが、個人的な満足度を任国の親日感情の度合いで計算できるとしたら、私は世界で最も幸せな日本国大使の一人かもしれません。
 
3.ネパールへのメッセージ
 しかし、正直言って、ここでの私の仕事には、まったく問題がなかったわけではありません。大使たる者、ありとあらゆる困難に直面するのは当然です。特に、日本は実際に多くの取り組みやプロジェクトでネパールの発展を支援しているが故に、それらの現場における実施に関しては多くの困難を乗り越えなければなりませんでした。
 ここではそれらについて詳細には触れません。ただ、自分は、ネパールの発展を支援したいとの思いから一生懸命働いたのだとだけ述べておきたいと思います。ネパールの人々の笑顔を見たかったのです。日本の協力がなにがしかでも皆さんの役に立ったのであれば、自分は嬉しく、誇りに思います。
 この動画をアップしたすぐ後に、二つの事項についてのリンクを投稿します。通常、私は自分のメッセージをできるだけ明確にするよう最善を尽くしますが、今回はなぜこのふたつを私が選んだのかは説明しません。皆さんで考えてみてください。
 ひとつは、知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」の序文です。アイヌとは、日本北部の北海道に住む先住民族の名前です。多くの日本人は日本を単一民族国家だと考えていますが、現実はそうではありません。知里幸恵さん自身もアイヌで、日本語を学び、アイヌ語と日本語の両方でアイヌの神の歌を初めて編纂しました。(元々重い心臓病を患っていた)彼女はこの作品を完成させたその日に、19歳で心臓発作のため亡くなりました。私は序文だけを紹介しますが、とても美しく書かれていて、アイヌの人々の生活や文化をよく表しています。ネパールの人々が読むと、おそらく同じようなことを感じるのではないでしょうか。
 もうひとつは、「雄鹿はここに止まる(The Buck Stops Here.)」というフレーズです。これは、第33代アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンと深い関わりがあります。彼はホワイトハウスの大統領執務室の机にこのサインを置いていました。「雄鹿はここに止まる」という言い回しは、アメリカの開拓時代のポーカー・ゲームから生まれた俗語「雄鹿をパスする」に由来しています。雄鹿の角で作られた柄のナイフなどのマーカー、あるいはカウンターは、配る順番が来た人を示すために使用されました。プレーヤーがディール(親役)をしたくない場合は、「雄鹿のナイフ」、つまりカウンターを次のプレーヤーに渡すことで親役を他に譲ることができます。これは、自分の責任を別の人またはグループに転嫁させる行為です。したがって、「雄鹿はここに止まる」という言い回しは、責任を受け入れ、それを他の人に転嫁しないことを意味します。1953 年 1 月にアメリカ国民に向けた退任演説で、トルーマン大統領はこの概念に非常に具体的に言及し、「大統領は誰であろうと、決定を下さなければなりません。責任を誰かに転嫁することはできません。他の誰も彼に代わって決定を下すことはできません。それは彼の仕事なのです。」と述べました。必ずしも米国大統領でなくても、何らかの責任ある立場にある多くのネパール人がこの考えを大切にしてくれることを願います。
 
4.後任
 皆様、外交官は来ては去って行きます。それが私たちの仕事です。私の後継者はネパールと日本の関係にさらなる貢献をし、皆さんと良き友人となるよう最善を尽くすと確信しています。皆さんには、私が頂いたのと同じご支援を私の後継者にも与えていただくようお願いします。
 すべてのことに心から感謝申し上げます。
さようなら。
サバイライ・アラビダ(सबैलाई अलविदा)


[Ambassador Kikuta’s Message]

The following two items are the messages which Ambassador Kikuta mentioned in his farewell video clip. We hope you find it encouraging.

1.The Preface of “Ainu Spirit Singing”

アイヌ神謡集
知里幸恵編訳


 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀(さえず)る小鳥と共に歌い暮らして蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで蛙とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。
 平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像しえなかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮(あけくれ)祈っている事で御座います。
 けれど・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
 アイヌに生まれアイヌ語の中に生い立った私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

大正十一年三月一日
知 里 幸 恵

(Tentative Translation)

Preface

Long ago, this vast expanse of Hokkaido was a land of freedom for our ancestors. Like carefree children, they lived relaxed and happily surrounded by the beauty of nature. They were truly nature's favorites, truly blessed people.

On land in winter, kicking up the deep snow that covers the forests and fields, braving the cold that freezes the heavens and the earth, trampling over mountains to hunt bears. On the sea in summer, the cool breeze of green waves, the song of white seagulls as a companion, floating a small boat like a leaf, fishing all day long. In the spring when flowers bloom, bathed in the soft sunlight, singing with the perpetually singing birds, picking butterbur and mugwort. In the autumn when the leaves turn red, parting the pampas grass that has gathered in the storm, the bonfires that catch frogs until dusk disappear, the sound of deer calling to their friends in the valleys, dreaming under the round moon. Ah, what a joyous life.

The border of peace, but now it is a thing of the past, dreams have been shattered for decades, this land has undergone rapid change, the mountains and fields gradually opening up into villages, and the villages into towns.

The ancient natural scenery has faded away before we know it, and where have the many people who once lived happily in the fields and mountains gone? Those of us who remain can only stare in amazement at the way the world is moving forward. Moreover, the beautiful souls of the people of the past, whose every move was dominated by religious sentiment, have been lost from our eyes. Instead, we are filled with anxiety and discontent, our eyes are dull and unable to see where we are going, and we must rely on the mercy of others. A pitiful sight, oh what a loss... That is our name now, what a sad name we have. 

Our happy ancestors in the past could never have imagined that their homeland would eventually turn into such a miserable state.
Time flows on and on, and the world progresses endlessly. Among us today, who are showing the ugliness of defeat in a fierce competitive arena, if even just two or three strong people emerge one day, the day will come when we can keep pace with the advancing world. This is truly our fervent hope, what we pray for day and night.

But... will the many languages ​​that our beloved ancestors used to communicate with each other in their ups and downs of life, the many beautiful words they passed down and passed on to us, all of these things also disappear without a trace, along with the weak ones who are dying out? Oh, that would be such a sad and regrettable thing to say.

As an Ainu born and raised in the Ainu language, I have written down with my humble pen one or two of the very short stories that our ancestors would gather and enjoy telling whenever they had free time, on rainy evenings or snowy nights.

If these can be read by many people who know us, I, along with my fellow Ainu ancestors, will feel truly infinite joy and supreme happiness.

March 1st, 1922
Chiri Yukie

2.The Buck Stops Here