大使の新年御挨拶

令和4年1月1日
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1.着任
 ヴィクラム暦ではまだ間がありますが、皆様、令和4年、西暦2022年、明けましておめでとうございます。
 私は昨年3月7日、たまたまCOVAX提供のワクチンを積んだ飛行機で当地に着任致しました。また、その日は当時の与党ネパール共産党(NCP)が、統一マルクス・レーニン主義派(UML)とマオイストセンター(MC)の2政党に戻ることを余儀なくされた最高裁決定が出された日でもありました。振り返りますと、コロナ禍と内政の不安定を暗示するような日の着任でありました。
 
2.困難を感じた昨年
 昨年は、個人的にはネパール在勤に於いて、政治の不安定、新型コロナ、自然災害という三重苦を感じさせられた年でした。
 違憲とされた前年末の下院解散以来、政治不安定は長く続き、現デウバ首相が就任したのは7月13日でした。12月には遅延されていたネパールコングレス党大会が遂に開催され、デウバ首相はネパールコングレス党党首の地位を維持しましたが、政権自体は全く立場の異なる5党の連立内閣ですので、今後も難しい舵取りを余儀なくされるでしょう。
 新型コロナ禍は、ご案内の通り、昨年春には一日の新規感染者数が9千人台、人口比なら隣国インドに匹敵する危機的状況となりました。今に至るまでのネパール在住の皆様のご苦労はお察しするに余りあります。日本人会、商工会、補習校関係の方々も大変なご苦労をされたと承知しております。日本はワクチンや医療器材の供与を実施し、これはこれでネパール側に大変感謝されましたが、日本の水際措置によりネパール人の新規入国が認められず、国費留学生や特定技能労働者関係等からのご意見も頂きました。漸く条件付きながら新規入国が認められることとなった途端、新たな変異株オミクロン株の発生により再び入国拒否に戻ってしまったことは大変心が痛みます。
 また、例年以上に長く続いたモンスーンにより洪水や土砂崩れなどの自然災害も多く発生しました。日本も支援した国家プロジェクトであるメラムチ上水計画が長年の努力を経てカトマンズにて開通式典が行われたにも関わらずその後大きな被害を受けました。2015年のネパールにおける大地震後の日本の官民による復興支援は大きな成果を挙げて来ていますが、支援プロジェクトの実施に於いて、自然との戦いを意識せざるを得ないケースも多々ありました。更に言えば、地球全体の気候変動問題は、ネパールにとっても極めて重要な課題として喫緊の取り組みが求められることも実感致しました。
 
3.本年への思い
 本年は、皆様にとって希望へ繋がる年となりますことを心より祈念致します。ネパールについては、ともすれば、何事にも意思決定や実施に時間がかかると感じられることもあるかもしれませんが、私自身はネパール語のबिस्तारी(ビスターリ:ゆっくり)をキーワードとして心に留めています。少し長い目で見れば、ネパールは極めて大きな社会経済的変容の途上にあります。ヒンズー教に基づく王国から、憲法に世俗主義を掲げる共和国として、多民族、多言語、多宗教の人々が民主主義の下、包摂的な発展を遂げるべく、ゆっくりではありますが一歩一歩努力を重ねています。今後も伝統文化と近代文明のせめぎ合いはあるでしょう。SDGs達成へ向けての開発の中で少数民族や女性の地位向上も課題でしょう。印中の狭間にあって、古来豊かな伝統を有する多民族社会がどのような歩みを続けるのか、興味尽きない国です。熱しやすく冷めやすいと言われる日本人にとっては、じっくり時間をかけて取り組む社会から学ぶこともあるかもしれません。
 そのようなネパールと日本は伝統的に友好的な関係を維持しています。
 今年は日本と南アジア地域との交流年です。特にネパールとの関係では、外交関係樹立は1956年ですが、1899年の河口慧海のカトマンズ訪問以来長年の友好関係を築いており、ネパール初の留学生の派遣先として日本が選ばれ、8名の留学生が6月に横浜の地を踏んで120周年という記念すべき年に当たります。
 
4.希望の年へ
 日本もネパール同様自然災害の多い国です。2011年の東日本大震災後、2015年に日本が仙台でホストした第3回国連防災会議で採択された国連文書にあるコンセプトがBBB(Build Back Better)です。例え困難に見舞われても、より強く、より良く蘇るのだ、という考え方です。
 昨年の困難を乗り越え、本年が皆さまにとってより良い年となりますことを心よりお祈り申し上げます。
 
2022年1月1日
ネパール国駐箚特命全権大使
菊田豊


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